【読書マラソン 176日目】第三の書 スートラ8/この三つの方法でさえも、真の種子のない瞑想から見れば外的なものである『魂の光』

シェアする

『魂の光』第三の書 スートラ8(p.256-257)

しかしながら、この三つの方法でさえも、対象に基づかない真の種子のない瞑想(サマーディ)から見れば外的なものである。それはチッタ(マインド・スタッフ)の識別的な性質の影響を受けることはない。

これらの三支さえも、種子のない三昧(ニルビージャ・サマーディ)にとっては外的である。『インテグラル・ヨーガ』

今やすべてのヨガの目標である最終段階に達し、そこでは統一を知り、二重性さえもが限定と見なされる。

自己、つまりすべてと一体であり認識とエネルギーがまさにその性質である全知にして全能なる知る者以外は何も残らないのである。

p.256

瞑想がサイキック領域にもたらす結果を学ぶ上で、次のことを覚えておかなければならない。つまり、ヨガの八つの方法は低位性質に明確な効果を生み出し、いくつかの開花と経験を引き起こすということを。

これによって熱誠家は三界の内的界層とますます意識的に連結できるようになる。

これは、人間が自分自身の界層において目覚め、魂がマインドと第三の目を通してこれらの界層に目を向けた結果であるならば、安全かつ必要な過程である。

p.257

メモ

上には上がある……と言うか、内にはさらに内があるって感じ?

「陰中の陰」みたいな。




赤坂サガスのfacebookページ

いつもシェア&いいね!有難うございます。

シェアする

トップへ戻る