『魂の光』第二の書 スートラ34(p.200-202)
ヨガに反する想念とは、有害さ、虚偽、盗み、不節制、貪欲である。自分自身で犯したものであれ、犯すように強いられたものであれ、賛成しただけであれ、貪欲や怒りや惑わし(無知)から生じたものであれ、少しだけ、中くらい、あるいは多く行われたものであれ、同じことである。それらは常に極めて大きな苦痛と無知を生み出す。そのため、それとは反対の想念を育てなければならないのである。
暴力等のような否定的想念が引き起こされ、これが実行され、あるいはそれが容認されるだけであっても、──それらが貪欲・怒り・熱中のいずれによって駆り立てられたものであっても──またそれらが軽度・中位・過激のどんな程度によってなされたにせよ、それらは無知に根ざしており、確かな苦をもたらすものである。このように省察することも、プラティパクシャ・バーヴァナである。『インテグラル・ヨーガ』
五つの訓戒を守ること
- 有害さ→無害さ
- 虚偽→真実
- 盗み→盗まないこと
- 不節制→自制
- 貪欲、強欲→満足
熱誠家にはいかなる言い訳も残されておらず、訓戒を犯すと、それがわずかなものであっても大きなものであっても、同じように結果を生むという真理を肝に銘ずることになる。
「反する想念」は必ず結果を生み、その結果は苦痛と、無知つまり惑わしの二つである。オカルトを学ぶ人が常に三界に関連づけて考える三つの言葉がある。
- マーヤつまりイリュージョンとは、真の自己が転生中にまとい、知らぬ間に永劫にわたって同一化してしまう形態の世界に関連している。
- 惑わしとは、自己が自らを惑わし、「私は形態である」と言わせる誤った同一化の過程である。
- 無知つまりアヴィディヤは、この誤った同一化の結果であり、同時にそれを引き起こす原因でもある。
p.201
今日のスートラ、長いッッ……!
ヨガに反する想念はその大小にかかわらずに、必ず苦痛と無知を生み出す。
うーん、いやだ。
規則正しく、無害に生きたいと思います。