『魂の光』第一の書 スートラ37(p.99)
低位性質が精製され、もはや耽溺することがなくなったとき、チッタは安定し、イリュージョンから解放される。
あるいは、感覚対象への執着から完全に解放された、聖者の心に集中することによって。『インテグラル・ヨーガ』
サンスクリット語でのこの言葉を正確に翻訳するのは幾分困難であるため、これは全くの意訳である。ここに示されている考え方は、知覚器官と感覚による接触を(もはやそれらと同一化することを求めない)真の人間が打ち消し続けることで、彼は「激情から自由になる」というものである。
すべての対象に対する情熱と欲求は克服され、彼は低位の感覚性質から解放され、その結果として、それに対応する知的安定と集中力が生まれるのである。
p.99
『魂の光』でこのスートラは、まったくの意訳とということ。
情緒的な反応(アストラル体)から解放されて自由になる的な。
一方、『インテグラル・ヨーガ』ではざっくりこんな感じに書かれている。
「おまえの中身がどんなにクズでも、釈迦とかキリストとか偉い人の心の中をイメージして瞑想したらいい感じになれるよ?」
今どこにいたって、ゴールをイメージする。「達成した人」の心に寄り添う。ひとつになる。
逆に、毎日のように流れてくるネガティブなネットニュースや著名人の偏った発言を見るのって、心を汚してるだけだな。
あ、今日でアリス・ベイリー読書マラソン99日目!
ワニなら100日目で死ぬけど、多分なにも起こりません。ではまた明日〜。