『魂の光』第一の書 スートラ15(p.44)
無執着とは、俗世的もしくは伝統的、この世的もしくはあの世的な、欲求が向けられるすべての対象に対する切望から自由であるということである。
見たり聞いたりした対象への切望から自由である人の、克己の意識が無執着(離欲)である。
無執着は不渇望と言うこともできる。これはここで使用する最も正確なオカルト用語である。というのも、物質存在の象徴である水と、アストラル界の特質である欲求という二つの考え方を含んでいるからである。アストラル界の象徴もまた水である。人間を「魚」と見なす考え方は不思議なことにこれにぴたりと当てはまる。
p.44
今日はスートラ15、テーマは無執着。
同じスートラを『魂の光』と『インテグラル・ヨーガ』で読んでいますが、正直インテグラルのほうが僕にはずっと読みやすく、そのぶん心にヒットする言葉が多いです。
もしあなたが本当に、ただ与えるために与えることの喜びを味わったことがあるならば、そのような喜びを何度でも得ようとして、そうした機会を貪欲に待つだろう。
『(新版)インテグラル・ヨーガ』p.58
コロナで揺れる世界。今の自分にできる奉仕はなんだろう。
ではまた明日。