【読書マラソン 204日目】第三の書 スートラ37/これらの能力は最高の霊的認識にとっては障害であるが、客観的な世界においては魔術的な能力になる『魂の光』

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『魂の光』第三の書 スートラ37(p.324-325)

これらの能力は最高の霊的認識にとっては障害であるが、客観的な世界においては魔術的な能力になる。

これら【超自然的感覚】は、【ニルビージャ】サマーディにとっては障害であるが、世俗的追求においてはシッディ【力、霊能】である。『インテグラル・ヨーガ』

霊的な発達に関するこの教科書に絶えず現われる一つの事実がある。それは、サイキック能力は、高位のものであれ低位のものであれ、最高の霊的な状態にとっては障害であり、三界から完全に自由に機能しようとする者はそれを捨て去らなければならないということである。

これは熱誠家にとっては把握しがたい教訓である。熱誠家は次のように考えがちである。つまり、透視力やアストラル聴力は進歩したことを示すものであり、瞑想の実践が実を結び始めた印であると。

それは全く事実に反するものであり、どのようなサイキック能力であれ、それに引きつけられ、執着するときは必ずそうである。

p.324

サイキック能力は、高位であっても低位であっても捨て去らなければならない。




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