『魂の光』第一の書 スートラ44(p.111-)
この集中の二つの過程(マインドの弁別的な活動を伴うものと伴わないもの)は精妙なものにも適用できる。
同様にして、精妙な対象について修されるところの、サヴィチャーラ・サマーディ【洞察を伴うサマーディ】とニルヴィチャーラ・サマーディ【超サマーディ、すなわち洞察を伴わないサマーディ】は説明される。『インテグラル・ヨーガ』
このスートラの意味は、多くの説明を必要としないほどはっきりとしている。「精妙な」という言葉には広い意味があるが、(パタンジャリの観点からは)私たちが五感を用いた後に気づくようになる本質的な何かを指すときに使われることが非常に多い。
例えば、バラは客観的な触知できる形態であり、その香りは形態の背後にある「精妙なもの」である。これはオカルティストにとってその特質を表現するものであり、その顕現を生じさせる精妙な要素がもたらす結果である。
より粗雑な要素が形態を生むのであるが、その粗雑な形態の中には、鋭敏な知覚と研ぎ澄まされた感覚によってしか接触できない精妙な形態がある。
p.111
「精妙な」の例
バラ…客観的な触知できる形態。
バラの香り…形態の背後にある精妙なもの。
相変わらず難解キャンディーズ。でもバラの例を読むとぼんやりわかる気もする。
次行ってみよう。