【読書マラソン 188日目】第三の書 スートラ20/しかしながら、これらの想念の対象は知覚者には明らかではないため、彼が見るのは想念だけであってその対象ではない『魂の光』

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『魂の光』第三の書 スートラ20(p.278-279)

しかしながら、これらの想念の対象は知覚者には明らかではないため、彼が見るのは想念だけであってその対象ではない。彼の瞑想から有形のものは除去されているのである。

だがそれは、その人の心の中でその想念を支えているもの【たとえばその思いの背後にある動機等】にまでは及ばない。それはそのサンヤマの対象とはならないからである。『インテグラル・ヨーガ』

瞑想中に彼が「気づいて」いるのは、想念質料、自分自身のチッタ(マインド・スタッフ)、他の人々のチッタだけである。

物質界に目に見える客観的な形態を出現させる原因になっているのは、このチッタに備わっている固有の活動である。

現われるものはすべて、ある主観的な出来事がもたらす結果である。存在するものはすべて、思考者のマインドの中に存在する。

それは通常言われているような意味ではなく、想念がある特定のフォースの流れを始動させるという意味である。

これらのフォースの流れが徐々に思考者のアイディアと一致した形態を形成し、これらの形態に思考者のマインドが向けられている限り、それらは存続し、彼がそれから「マインドを離した」ときには消滅する。

p.278

メモ

「想念」が、ある特定のフォースの流れを始動させる。

前回のスートラと続けて読んでみると、

集中した瞑想を通して、他の人々のマインドの中にある想念イメージが明らかになる。

しかしながら、これらの想念の対象は知覚者には明らかではないため、彼が見るのは想念だけであってその対象ではない。彼の瞑想から有形のものは除去されているのである。

なるほどですね〜。(わかってない)




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