『魂の光』第二の書 スートラ5(p.142-144)
アヴィディヤとは、永続せず不純で苦痛に満ちたものや非自己を、永遠かつ純粋で至福に満ちたものや真我と混同している状態のことである。
無知とは、無常を常、不浄を浄、苦を楽、真我ならざるものを真我とみなすことである。『インテグラル・ヨーガ』
この無知の状態、つまり「アヴィディヤの状態」は、まだリアリティーとリアリティーではないもの、死と不死、光と闇を識別できないすべての人の特徴である。したがって、それは三界における生命を支配している。
というのは、転生している人間が経験する、物質界におけるアヴィディヤに対応するすべての界層に見られるからである。
p.142
識別と平静を通して、永遠かつ純粋で至福に満ちた真我は、永続しない不純で苦痛に満ちた非自己からやがて自身を引き離せるようになる。
これをまだ実現していないとき、人はアヴィディヤの状態にある。
それを成就する過程にあるとき、人はヴィディヤつまり知識、四つの道に従う者である。
魂をありのままに知り、非自己が鞘、媒体、道具としての正当な位置に退けられたとき、知識そのものを超越し、知る者は一人で立つ。
これが解放であり、ゴールである。
p.143-144
私は魂であり、永続する真我であることを、毎日思い出したい。