カルマを解消するには

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2018年、最後の記事は『アリス・ベイリーを読む』のカルマの項目で締めくくります。

カルマという概念を知った人々の中には、新たなカルマを生み出さないようにしようとして、無為に過ごすようになる人もいるが、行動すべきときに行動しないこともカルマを生むということである。ということで、これは適切な対処法とは言えない。

まず最初に認識すべきことは、カルマによって作り出された状況は、ある課題を学ぶ機会を私たちに提供してくれるということである。魂は私たちが学ぶべき課題として悪いカルマを作用させ、一見すると悲惨なように思える状況下に私たちを置く。

しかし、このような課題を学ぶことを可能にする善いカルマも同時に作用させているのである。人生に対して否定的にアプローチしてしまいがちな私たちには気づかないかもしれないが、「悪いカルマと同じくらい多くの善いカルマも存在する」のである。

悪いカルマと善いカルマの両方が魂の計画通りに作用することで、私たちが意識を変化させ、思考、感情、行動などをより適切なものにする機会を提供してくれているのである。それは、一般に考えられているような罰を与える法則ではなく、私たちを進化するよう促すもの以外の何ものでもない。

とはいえ、このカルマという概念をすべての人々が受け入れることによって、犯罪は劇的に減少するであろう。なぜなら、犯罪を犯す人々は、警察に捕まらなければ何の罰も受けないと考えているが、警察に捕まる捕まらないに関係なく、カルマの法則によって「人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになる」(ガラテヤの信徒への手紙・第6章7節)ということを認識するようになるからである。

土方三羊(著)『アリス・ベイリーを読む──エソテリシズムの死生観』p.74

生きていると、いいことも悪いことも色々起こりますね。

「今年はいい年だった」と言うとき、多くの場合自分にとっての「いいこと」が多かった年でしょう。不幸なことが続いて、「いい年だった」と言う人はあまりいませんよね。

ところが、「」にとっては、不幸なときほど成長のチャンスといえそうです。

もし、人生というステージで、何の抵抗もなく、摩擦もなく、全てのことが思い通りにいくとしたら、人間は成長しないはずです。

絹のような肌触りで皮膚を撫でられているときは気持ちいいけれど、いくら撫でられていても磨かれることはありません。

一方、粗目の紙やすり(#150)なんかでガシガシ擦られればそのときは痛くて辛いけど、ゴミや汚れが剥がれ落ちて表面の凹凸はなめらかになり、光沢がでてくる。輝きが増してくる。

この紙やすりでガシガシ擦られているようなとき、「今まさにカルマを解消できている!」と思えば、不幸に対する心構えも変わってくるのではないでしょうか。

とは言っても、ポジティブシンキングで無理矢理に不幸を幸福と思い込ませたり、つまらないことを楽しいと言い聞かせたり、そんなことはしなくていい。嘘は不要です。

辛いことは超辛い!楽しくないことはクソつまらん!僕はそれでいいと思う。

ただその中で、「楽しく生きる」「強く生きる」「愛をもって生きる」といった在り方を自ら選択して、悪いカルマをつくらないように、小さくても日々やれることを積み上げていく。ダメな日はダメなりにとりあえず生存しておく。できない自分も責めない。いじめない。

さて、2018年はどんな年でしたか。そして、明日から始まる2019年はどんな年になるでしょう。

改めまして、いつもブログをご覧いただき本当に有難うございました。

このブログやFacebookなどを通じて、たくさんの方達と出会い、交流することができました。ご縁に感謝いたします。

来年も、どうぞよろしくお願いします。

m(_赤_)m

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