自信、野心、不安、思い込み…様々な感情で満たされるアストラル

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アストラル界はこれまでにも何度も述べてきたように、感情情緒の界層、惑わしの世界、グラマーに満たされた領域である。そこには真実は存在しない。そこは真理の歪められたものが真理そのものであるように思われる界層である。

グラマーに包まれ、それを自分自身であると思い込んでいる私たちにとってグラマーをグラマーと認識することは非常に困難である。それは私たちの存在そのものを否定することのように思えるからである。その反対に、グラマーに満たされた教えに同意することは非常に容易なことである。

なぜなら、それに似たグラマーをもつ私たちの感情にある種の安心感もしくは好奇心を引き起こすものであるから。しかし、そのような教えから得るものは何もない──自分がグラマーをもっていることを認識させる機会を与えてくれること以外には。

(中略)

アストラル界からもたらされる様々な情報は私たちのもっている様々な想念を反映するものである。私たちは日常において様々な想念をアストラル界から受け、それに反応して様々な想念を作り出し、再びアストラル界に送り出している。

それらは私たちのアストラル体の性質を反映している。野心、不安、自信、自己憐憫など様々なグラマーで私たちのアストラル体は満たされている。それはすべて私たちが意識を、分離した自己(正確には「分離していると思っている自己」と言っほうがよいかもしれない)に極度に集中した結果として生じたものである。

このような真実を歪めた想念がアストラル界に渦巻いている。このようなグラマーが様々な形で伝えられ、それに私たちが反応するのである。現在、人類のほとんどがアストラル体に意識を焦点化させているため、アストラル界からの情報は多くの人々から反応を引き起こし、好奇心や恐怖心など抱かせるのである。

土方三洋(著)『アリス・ベイリー入門 エソテリシズムとは何か』p.31-32

今日は『アリス・ベイリー入門』から、アストラル体とグラマーについての項目をピックアップしてみました。

グラマーに包まれ、それを自分自身であると思い込んでいる私たちにとってグラマーをグラマーと認識することは非常に困難である。

グラマーとは、真実を覆い隠す霧のようなものです。

グラマーの霧の中にいる張本人は、自分が見ていることや考えが真実であると信じて疑いません。あたかも、魔法にかかっているように。

それらは私たちのアストラル体の性質を反映している。野心、不安、自信、自己憐憫など様々なグラマーで私たちのアストラル体は満たされている。

恐れ、怒り、不安、野心、嫉妬。ほとんどの人は、心の中に様々な感情が渦巻いていると思います。

感情の器であるアストラル体に、どろどろとした濁った液体が満たされているとしたら、思考もクリアにならないだろうし(メンタル体)、心もスッキリ晴れないし(アストラル体)、身体も重たく感じる(エーテル体・肉体)のもわかる気がしますね。

続きの文章には、グラマーに包まれないために必要なものは「識別力」であると書かれています。

必要なのは識別力である。とは言っても、教えが正確にどのレベルからきているものなのかを判断することは非常に困難であろう。しかし、それらに対する自分自身の反応がどのようなものであるかを判断しようと試みることはまったく不可能とは言えないのではないかと思う。

ハートからのものであるか、それとも感傷的なものであるか。知的なものであるのか、それとも被害妄想的、不安神経症的なものであるのか。結局は、自分自身がどのように反応するかにかかっているのであろう。そして、私たちがどうのように反応するかは、私たちがどのレベルに意識を焦点化させているかによって決まるのである。

p.32-33

日々降りかかるあらゆる出来事に対し、なんらかの「反応」をしていると思います。いつも決まったパターンかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

その反応が感傷的か、知的か、被害妄想的か、それとも愛をもって対応しているか、自分の反応を客観的に見つめてみることで、今の状態に気がつくことができるのではないでしょうか。

彼は常に霧の中を歩き、何もそのありのままの姿を見ることはできない。彼は外観に騙され、その外観が覆い隠しているものを忘れてしまう。各々の人間が起こした放射するアストラル的な反応が常にその人を取り囲み、彼はその霞と霧を通して歪められた世界を見ているのである。

アリス・ベイリー『グラマー 幻惑と錯覚の克服』p.48

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