感じるな、考えよ。知性(メンタル体)の育て方

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感じるな、考えろ。

前回の記事、「お前はもう死んでいる」死後に通る3つの道の続きのような記事になります。

じゃあ、どうやって生きたら、死んだあと素敵な場所に連れてってくれるのか。

それにはやっぱり、できる限り知性(メンタル体)を使って生きることが大切なんですよね。

たとえば読書をすること、何か新しい勉強を始めること、得意な絵や音楽を探求していくこと。どれも大切です。

でもそれ以上に、知性を高めるために重要なことがあるそうです。

神尾学先生の著書『ホリスティック・リーディングII』にひとつの答えがありました。

現段階では、ほとんどの人が自分自身では考えることをせず、本人は自分で考えているように思っていても、他人の生み出した想念をそのまま自分の考えとして流用しているだけだといわれます。

自分のメンタル体を育てる最大の要因は、著者でも先生でもなくて、自分自身の思考なのです。

「メンタル体を育てるのは、自分自身の思考である。」ということです。

続いて、ブラヴァツキー夫人の『実践的オカルティズム』のメッセージが引用されています。

あまり多く本を読むな。十分読んだならば、十時間深く考えよ。孤独に慣れ、自分の思いとだけいる習慣をつけよ。

自分で考える。

神智学の創設者ブラヴァツキーも「10分読んだら10時間考えろ」って言ってるんですよね。孤独に慣れ、「自分の思い」とだけ過ごす習慣をつけろと。

いつも「つながっている」ことが良しとされる現代社会、思索に必要な孤独というスペースを安易に埋めることができて、自分の思考など出る幕がないのかもしれません。

多くは考えているように見えても、「思い悩んでいる」ような状態で、思考のメンタル体ではなく、感情のアストラル体レベルのエネルギー。

しかし一方で今、「自分で考える」力を身につけるために、とてもいい時代に生きているとも思うんです。

ちょっとだけ周りを見渡したら、社会に目を向けたなら、傍観してる場合じゃないのがわかる。自分の頭で考える材料を得るために、自ずと読書や勉強も必要になってくるでしょう。

あの偉い人が言っていることって本当なのか。親や先生、友人、新聞、ネットニュース、信頼できるあの人が言ってることって、偏った意見ではないのか。それに対して自分はどう思うのか。

知性ってハードの容量じゃないと思うんです。処理能力の早さでもない。

「自分で考える」力があるかどうか、言いかえるなら「問う力」ではないでしょうか。だから今この瞬間から、知的に生きることができるんです。

素手でも竹槍でも棍棒でも、今持ってる武器でいい。そうやって泥臭く戦っているうちに、「はがねのつるぎ」とか手に入れて、ちょっとだけ強くなって、賢くなって、また自分の思考を磨きあげていくんじゃないかな。

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