エアコンが一向に暖まらず故障かしらと思ったらパワフル冷房23度に設定していた生粋の道産子赤坂です。道路はすっかり白くなっちまいました。春よ来い。
さて、11/23(金)・24(土)・25(日)に開催された、ホリスティック・スペース=アクエリアスのオープニングイベントを、ノートに殴り書きして自動暗号化した文字を解読しながら何回かに分けて振り返ってみようかと思います。
まずは23(金)の前半、シュタイナー教育の今井重孝先生の講演から。
シュタイナーとは?
ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)
オーストラリアの哲学者。40代で神智学協会ドイツ代表として活躍。1913年に人智学協会を創設し、教育のみならず科学、芸術、医療、農業、経済学などの分野で活躍。1919年に、シュタイナー学校を創設する。
全体性・バランス・つながり
演題は「シュタイナーの教育・社会論をホリスティックな観点から見てみよう」。
すべてのものを、よりよいものにする三要素が「全体性・バランス・つながり」だといいます。
そして、社会問題となっている「いじめ」は、この三要素(全体性・バランス・つながり)が教育の中で実現できていない表れ。
いじめるというのは不健康で病的な状態であり、人格形成が歪んでいるということ。
確かに、「全体性」や「つながり」を重視しながら、他者をいじめることなんて出来ないですよね。
シュタイナー教育のエッセンス
シュタイナー教育では同じ担任が8年間もち上がり、教科書は使わず、試験もない。通知表は数字ではなく、文章によって評価されるといいます。
また、すべての授業の中で芸術が重要視されていて、木工作業や、楽器も弾けるように学習するのだそうです。
7年周期の発達段階
■0-7歳 意志の教育の時期(自由の実現の基礎)
■7-14歳 感情の教育の時期(平等の実現の基礎)
■14-21歳 思考の教育の時期(友愛の実現の基礎)
芸術によって正しい感性を成長させ、美術を学ぶことによって「美しいことをしたい」という道徳心を育むといいます。
「友愛」よりも「競争」が重視される現代社会。正しい道徳心を育てるためには、これから何をしたらよいのでしょうか。
道徳心を育てるために
■0-7歳 道徳的意志の育成
方法→周りの大人が模範となるモデルを示す。
■7-14歳 道徳的感情の育成
方法→人道的に優れた人物の伝記を読んだり、尊敬できる大人と出会う。他にも、芸術体験など。親が子どもの前で、先生の悪口など言ってはいけない。
■14-21歳 道徳的判断力の育成
方法→道徳的思考力を育成する。人種・国家などの違いを超えて、人類愛に導く。
7年周期の発達段階論について、今井先生のこちらの文章もぜひご覧ください。
シュタイナーの考え方によると、0歳から七歳まで、七歳から十四歳まで、十四歳から二一歳までで、教育の仕方は大きく変わらなければならないという。なぜか。個人差はあるがおよそ七歳になると子どもの歯が生えかわりはじめる。これは、子どもの発達の段階が次の段階へと移る合図であるというのである。
0歳から七歳までの子どもは、観察すれば明らかなように、模倣する存在である。何でも真似をしようとする。この時期の子どもは、言葉で説明しても理解できない。この時期の子どもは、大人の模倣を通じて、大人の感情とか思考とかを理解するのである。
したがって、この時期の教育の原則は、周りの大人が子どものよき模倣対象たることということになる。大人の一挙手一投足を、子どもに真似されてもいいように自覚的に行うことこそが、最も大切であるということになる。
神尾学(編著)、岩間浩・今井重孝・金田卓也(著)『未来を開く教育者たち』 第2章 シュタイナー教育とシュタイナーの思想/今井重孝 p.81
大人の一挙手一投足を、子どもに真似されてもいいように自覚的に行う……。
小手先のテクニックを追い求めるよりも、この一行を守り抜くだけでも今日一日の生き方が変わる気がしませんか。
社会の三分節化構想
社会には、相対的に独自性をもつ三つの領域(経済・政治・精神)があり、「精神の自由・政治の平等・経済の友愛」が、三分節化の根幹神経といいます。
ふたたび、『未来を開く教育者たち』より、友愛の経済について。
友愛の経済
経済の領域においては、競争ではなくて友愛の原則が支配しなければならないと考えられている。経済が政治を支配したり、政治が経済を支配したりしても問題が生じる。(中略)
フランス革命において、自由、平等、博愛(友愛)の理念が高唱されたが、それぞれの理念が精神、法律、経済の領域に対応した原理だということに気がつかなかったのが問題なのだ。
そういえば
実は僕、アリス・ベイリーより先にシュタイナーに出会っていました。2010年の4月頃です。この本で初めて「エーテル体」「アストラル体」といった言葉を知ることになるのですが、理解には至らず……。
それでも「この本には絶対に重要なことが書いてある」という確信はあって、日常生活の心がけとして好きなフレーズを手帳に書き写したり、一部の文章は暗記したりしていました。少し抜粋してみます。
誰かと出会い、その人の弱点を避難するとき、私は自分で自分の中の高次の認識能力を奪っている。愛をもってその人の長所に心を向けようと努めるとき、私はこの能力を貯える。神秘学徒は常にこの点に留意し、この指針に従うことを忘れてはならない。繰り返し、繰り返し、あらゆる事柄の中の優れた部分に注意を向けること、そして批判的な判断を控えること、このような態度がどれ程大きな力を与えてくれるか、このことを熟達した神秘学者はよくわきまえている。(p.29)
神秘学徒といえども、高次の世界に生きているからといって、日常の義務の遂行を怠ってはならない。高次の世界のいかなる義務も、日常の義務をわずかたりとも無視させてはならない。神秘学徒となっても、一家を支える父親としては良き父親であり続けてなければならず、母親としても同様に良き母親でなければならない。(p.97)
ルドルフ・シュタイナー(著)/高橋巖(訳)『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』
今回久しぶりに『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』を開いてみたら、「あれ、読めるかも?」明らかに以前より読みやすくなっているのがわかりました。これはアリス・ベイリー効果なのは間違いなく、嬉しい発見でした。
人生「やり直し」可能なのか?
休憩中、今井先生にひとつの質問をしてみました。
「道徳的感情の育成には子どものころ(7-14歳)に尊敬する大人と出会う必要があるとおっしゃいましたが、もしその時期に親や周りに尊敬に値する大人がいなかった場合、これからでもやり直すことは可能でしょうか?」
これは、「まともな親」「まともな家庭環境」「まともな教育」の中で育ったであろう、「まともな大人」を傍から見るたび生まれていた、長年の疑問でもありました。
決して「まとも」とは言えない環境で育った人でも、すでに大人として成長しきってから「やり直し」することが誰でも可能なのだろうか?
今井先生の答えはこうでした。
「もちろん早いに越したことはないが、人の成長はとてもフレキシブルなもの。いつでも、どこからでもやり直すことができる。」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。